太宰が住んだ大宮探索ツアー準備 宇治病院旧宅

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今は2月1日の講演に向け注力するばかりですが、終わるとすぐ、来年の探索ツアーの準備に取り掛からねばなりません。4月29日、昭和23年のこの日、太宰は筑摩書房古田晁の紹介で大宮へやってきました。探索ツアーができるならこの日としているのです。
一番の目玉は、『人間失格』執筆の座卓ですが、それよりもっと貴重なのは、宇治病院旧宅なのです。『人間失格』を書き上げ、三鷹に戻った太宰は、それからちょうど1か月後の6月12日に、山崎富栄の目を盗み、ひとりで大宮を目指します。宇治病院に寄宿する古田に会うために。
「古田さんいる?」
宇治田積院長の娘、節子さんが縁側で縫物をしていると、太宰が飛び込んできました。
「今、信州に行ってます。明日あたり帰って来るはずですが。。。」
太宰は、視線を宙に浮かべ、
「また来ますよ。くれぐれもよろしく」
そう言って去って行きました。
太宰が富栄と玉川上水に身を投げるのは、次の日、13日の夜の事。節子さんが見た、ワイシャツにグレーのズボン、これは遺体が上がった時と同じでした。古田は、
「会えていたなら彼は死なんかったかもしれない」
悔やんでも悔やみきれない、その宇治病院旧宅、特別に見せて頂きます。募集要項は追ってこちらにて。お待ち下さい。